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● 010・「三条市の上空で見えた黒い太陽」
7月22日の皆既日食まで1ヶ月半ほどとなりましたが、今回は122年前に新潟県内で観測された皆既日食についてご紹介したいと思います。 1887年、明治20年の8月19日。新潟県栃木県の福島県の全域と他いくつかの県が入る幅約150キロの帯状の地域で皆既日食が起こりました。時の明治政府は当時の内務大臣山県有朋(やまがた ありとも)の指揮によってこの観測を国家的事業に定めています。そして、日食観測の手引き書やコロナのスケッチ用紙を印刷し、観測できる各郡へ配布して、専門家から学校職員、一般市民に至る広い層に観測の実施を奨励しました。月の影の中心が通る新潟の三条、福島の白川、茨城の黒磯は皆既日食の時間が3分以上と最も条件が良く、気象条件も良いとされ、それに千葉の銚子を加えた4カ所に内外の観測隊が大規模な観測隊を送り込みました。 一般にも白川と黒磯には上野駅から臨時日帰り日食列車が運行され、政府高官やその家族たちは、銚子の犬吠埼沖で貨客船「名古屋丸」に乗り込んで日食見物に備えたそうです。皆既日食の地域から外れている東京都内でも上野動物園は午後からの公開を中止、銀行などもこぞって午後の営業を取りやめて日食見物に備えたと記録されています。しかし、思わぬ番狂わせを引き起こしたのは天候でした。 白川、黒磯の太平洋側は前日までの晴天が一転して雷雨を伴う悪天候で、太陽すら見えなかったのです。内外から駆けつけた研究者や一般の人々が黒い太陽を目にすることはできませんでした。逆に新潟県の三条では前日までの曇天が見事に晴れ上がり、素晴らしい皆既日食が観測されたと記されています。 この時、中央気象台長の職にあった荒井郁之助と杉山正治(すぎやままさはる)らは、最新の装備で観測に臨み、三条市の永明寺(ようめいじ)山山頂にて日本初の見事なコロナの撮影に成功したのです。 現在ここには皆既日食記念碑が建てられ、その功績が記されています。 沼澤茂美
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